emesh note
あの閉鎖的と言われる横綱審議委員会にさえ、一応の任期(1期2年)とその上限(最高で5期10年まで)が定められている。ちなみに報酬は支払われない。あの頑固な爺さんたちは、何はともあれ、自らの頑迷さを、自分たちの無償の情熱によって贖っている。その意味ではスジが通っている。
  • まともな政策の簡単な見分け方、それは「基準を問う」こと。
  • 「既得権の打破」を叫ぶ人には、「既得権と正当な権益とをどうやって区別するのか」を問おう。
  • 「官僚主導の打破と政治主導の実現」を叫ぶ人には、「官僚主導と政治主導とはどのような基準で判定されるのか」を問おう。
  • 「無駄な公共事業の撤廃」を叫ぶ人には、「無駄な公共事業と無駄でない公共事業とをどうやって区別するのか」を問おう。
  • これらの問いに答えられないなら、これらの主張は「政策」の名に値しない。単なる人気取りのための「かけ声」だ。
  • 有権者が、政党や候補者に対し、しつこいくらいに「基準を問う」態度を身につけること。これが、日本がポピュリズムから抜け出し、真の民主主義国家に成長するためのカギだと思う。

まともな政策の簡単な見分け方

当たり前のことなんだけど、これをマスコミがしっかりやってくれれば彼らも信頼を回復(?)できるのかもしれないね。無理か。

2009-08-18

(via tsundere, burnworks) (via ibi-s) (via nakakzs)

(via toronei) (via katoyuu) (via irregular-expression)
3月11日にマスコミ各社が追悼特番をやっていたが、非常にしらじらしい。まるで他人事のように、1年前の大震災を外側から眺めている。
あの日以来、二次災害とも言える印象操作、風評被害を拡散したことに対する反省の弁は、まったくない。

当初は情報が極端に少なかった。だから各社とも、たまたま仕入れた悲惨な津波の映像を繰り返し繰り返し流し続けた。そうすることが被災民やその親戚縁者に対して有用な情報だったからではない。あの時、マスコミは「公共電波を司る者の使命」など完全に吹っ飛んでいた。
とにかくインパクトのある映像を。とにかく視聴率が取れそうな映像を。もっと迫力のある映像を。そればかり追求する利潤目的の姿勢が骨の髄まで染み込んでいることを露呈した。

福島原発の問題にしたってマスコミにとっては発行部数や視聴率の具でしかない。恐怖感を煽り「このままではいけない」と国民に吹き込むのは、マスコミの常套手段だ。だから普段からマスコミは「長引く不況」「どうなる日本」など、ネガティブな側面しか報道しない。日本の良いところ、楽観的な展望など載せたら、誰も読まなくなるからだ。
そういう基本姿勢が染み付き、いざ未曾有の大災害の時にも同じ行動原理で動く。「人の不安を煽り、それにつけこんで情報を売りさばく」という方法論が、人の精神にどれだけダメージを与えたのか。

震災から1周年経ち、マスコミの報道を見ると、当時の自分達の報道姿勢の誤謬を真摯に反省する弁明は一言もない。同じ災害が発生したら、また同じことをするだろう。その同じ口で、被災地や被災民に対する激励の言葉などを平然と嘯くから呆れる。聞こえのいい綺麗なまとめも結構だが、それぞれの立場には、それぞれの立場なりの、顧みる点があるのではあるまいか。

「再生エネルギー特措法」の意義は、既存の電力会社に「高く買え」と指導することで、自然再生エネルギーの事業化を一気に促進するというものだ。

問題なのは、買い取り価格をどれくらいに設定するかだ。まだ確定したわけではないが、噂では太陽光なら1キロワット時で42円という説が聞こえている。発電方式によるコストを比較すると、それぞれ1キロワット時で、火力(LNG)は7~8円、水力は8~13円、風力が10~14円。一方で太陽光は49円と、圧倒的に高い。「安い」のが売りだった原子力は以前5~6円とみられていたが、今回の原発事故の賠償などにより費用がかさむことが予想される。こうした費用を10年間で最大20兆円と見積もると、原子力発電のコストは13円程度になると考えられる。それでも太陽光の4分の1しかかからないのだ。

太陽光以外の発電コストは、7~13円なのに、本当に42円で確定し国からの援助がなければ、買い取りを義務付けられた既存の電力会社はもれなく潰れてしまう。

買い取り価格を高く設定すれば、電力会社に過大な負担がかかって電力料金に跳ね返り、消費者に影響することが予想される。一方で、買い取り価格を安く設定すると事業自体が赤字となり、太陽光発電事業に投資した自治体が補てんしなければならなくなる。こちらも最終的には税金という形で住民の負担となる。どちらに転んでも、一般の国民にはマイナスしかない。

「おもらい文化」の典型が、赤旗の記事にもあるような「行政依存権利論」である。「お貰い権利論」は共産党に限ったことではない。最近の報道に見る沖縄、福島両県知事の言動は、知事として県民の自助努力を主導する事すら忘れた「職業的なおもらい屋」とさえ思いたくなる堕落ぶりだ。

日本語自身も「お貰い型」に変わってしまった。我々の世代では「勇気」や「元気」「パワー」を他人から貰うなどとは想像した事もなく、これ等は自ら絞り出す物で、出来れば人様に授けられる人間になれと教育されたものである。

ところが、最近の日本、特に東日本大震災後は「勇気」も「元気」も「パワー」も「貰う」のが当たり前の、受け身な日本になってしまった。

受身や形式主義がはびこる国は、必ず他人に依存する国柄を生む。こうした「おもらい文化」の蔓延する日本が、競争の激化する世界でどの様に生き延びる心算なのだろうか?心配でならない。
愚民思想というのは根強く、「ほんと、日本人ってバカばっかりだよな」という具合に、愚民思想に賛同する人というのは結構存在する。愚民思想が根強い人気を持っているのは、「人間は自分が批判の対象になっているとは想像もしないものである」からだという。私がこの真理を実感したのは、綾小路きみまろのファンを分析するテレビ番組を見た時だ。

その番組では、「綾小路きみまろのファンは、毒舌ネタのことを他人事だと思っている」という驚くべき事実を告げていた。綾小路きみまろの毒舌ネタは、中高年の哀愁を笑い飛ばす自虐ネタであり、ファン(当然、中高年が多い)もまた、自分自身を笑い飛ばしているものだと私は思っていたのだが、実際はそうではなかった。客に毒舌ネタの感想を聞くと、多くのファンが「いるよね、こういう人(笑)」という反応を見せていた。ファンにとって、毒舌は自分自身に向けられたものではなく、あくまでも「自分以外のかわいそうな中高年」を綾小路きみまろと一緒にイジッている、という感覚だったのだ。

このような鈍感力は、ベストセラーになった『バカの壁』にも通じる。私はこの本を読んだ時、「はいはい、どうせバカで話が通じなくてすみませんね」と、養老センセイに腹を立てたものだったが(笑)、どうも世間の反応は違ったらしい。この本を読んだ人の多くは、「いるよね、こういう話の通じないバカ」と、溜飲を下げていたというのを知って、私はショックを受けた。

問題:以下の記者のインタビューについて問いに答えよ。


「私は、実は人間としては原発批判派の人達の方が好きなのです。だけども、その人たちの中に、全部がそうだとはいいませんが、本当で無いことを誇張していったり、ウソと知りつつ、ただ、もう、反対運動を煽るために脅かしの言葉を並べたてるというという傾向が強くなってきた。何が何でも原発を葬り去るべきだ、という声が強くなってきた。私はこれは危険だと思ったのです。では、原子力をやめて何か代案があるのか、原子力に代わるエネルギーが、他に何かあるのかといえば、ありません。

「わたしは10年も前から太陽や風、地熱などを取材してきましたが、すくなくともこれから十年、二十年の間は、原子力に頼らないわけにはいかない、そう判断せざるを得なかったのです。代案も考えないで、やみくもに原子力をつぶせと叫ぶのはあまりにも無責任ではないでしょうか」

「『暗闇の思想』なんていう人たちもいましたが、私は、エネルギーを減らし、自然に戻る方が人間にとって幸せだとは、どうしても思えないのです。世の中豊かでなくなれば、逆に生活レベルの格差がひろがり、最も被害を受けるのは底辺の人々です。それに、簡単に、生活レベルを落とす、自然に還れという人々さえ、実は本心では生活レベルを落とそうと思っていず、そんなことが実際に起こるとも思っていない。タカをくくっているのですよ。だから無責任だし、不真面目だと私はいうのです。」


問1 これはどこの新聞社の記者によって発せられた物か。



問2 これはいつのインタビューか。













































答1:朝日新聞社 答2:1981年
出典:ドキュメント東京電力(田原総一郎著)

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/07/03(日) 00:40:06.95 ID:GDNnq/Ol0

嘘を大声で、充分に時間を費やして語れば、人はそれを信じるようになる。

アドルフ・ヒトラー

とくめーさんは大歓喜してるけど、ジャンルの多様性と継続性って観点で言ったら今の「一億総ハーレム」状態は明らかに好ましいことじゃないでしょ。

誰が墓守をやるかという問題。